2010年09月04日
ZERO Project #BⅡ-124

私の手元にある、1本のDVD
タイトルは「ZERO Project #BⅡ-124」
作ったのは 香川県出身のアーティスト 中ハシ克シゲさんです。
敵味方、民族や世代の違いを超えて行われたプロジェクト・・
いろいろ困難なことがあったと思うのですが
実行できたことそのものにとても大きい意味があると感じました。
DVDのケースの裏に書かれている説明から・・
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■ZERO Project
ZERO Projectはプラモデルから撮った実物大の写真作品を
戦争にゆかりのある場所や時期に、住民とともに制作し、焼却するプロジェクトである。
プロジェクトは2000年から2009年の10年間(ゼローズ)続けられる。
■#BⅡ-124
BⅡ-124は豊島一(トヨシマハジメ)の搭乗した21型零式艦上戦闘機の機体番号である。
豊島は第二次世界大戦中の1942年2月19日、
オーストラリアの北の軍事要塞であったダーウィンを零戦で攻撃中に被爆し
バザース島に緊急着陸した。
5日後、捕えられた彼はオーストラリアで最初の日本人捕虜となった。
2年後の8月5日、豊島はオーストラリア捕虜収容所から
約1000人の日本人捕虜を引き連れて脱走した。
これは2000年の夏から2002年の夏にかけて中ハシが、豊島の搭乗した零戦を再現し、
オーストラリアのダーウィンとカウラで行ったゼロプロジェクトのドキュメントである。
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まず、驚いたのは歴史的事実。
オーストラリアの北の前線基地であったダーウィンは、
1942年2月19日から1943年11月12日まで、延べ64回の日本軍の空爆に曝されたこと。
今でも航空博物館には破壊された零戦が展示され、街にはBombing Streetとか
Air Raid Arcadeといった地名が付けられているらしい。
中ハシさんがこの場所でプロジェクトを行う動機となったのは
前述「豊島一」の行動。
彼らが脱走したのは生還のためではなく、殺されるためだったこと。
キャンベラの戦争博物館には、彼が脱走の合図に使ったラッパが今も展示されています。
その場所で中ハシさんのプロジェクトに現地ボランティアが150名参加し、
ダーウィン市の目抜き通りを他の交通をストップさせて警察のパトカーの先導のもとに
行われたという事実。
2年後日本兵戦没者霊園のあるカウラでも
現地ボランティアの人たちとプロジェクトを実行したのですが
これには子供たちから老人まで参加されたそうです。
授業として見学に来た高校、大学は合わせて5校。
人口7000人の小さな町カウラで、合計約2000人のギャラリー来訪者があり
ゼロ焼却の現場には子供からお年寄りまでの各世代200名が集まり、
さらにキャンベラタイムスの文化欄のトップで紹介されたこと。
国や世代の違いから来る歴史観や文化の違いを認識するとともに
お互いを理解する機会を与え、さらにプロジェクトに参加する子供たちに
戦争の歴史を知る教育の機会を与えることにもなる・・と中ハシ氏は書かれています。
その後このプロジェクトはハワイでも行われています。
もう20年以上前になりますが、神戸の異人館、ラインの館で
中ハシ氏の彫刻「three dog houses」と写した写真があります。
今でもそのままありますよね。
また 会いに行きたいです。
*現在、京都市立芸大で教鞭をとられているようです。

Posted by tomida at 22:00│Comments(2)
│その他
この記事へのコメント
石田純一が出ている映画がありますね。見たことはありませんが。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=4293
遠い過去になって、戦争のことがわかりにくくなっているけど、
世代交代もあって生々しい憎しみなどの感情が薄れた分、冷静に
戦争を考えることもできる時代になったのだと思います。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=4293
遠い過去になって、戦争のことがわかりにくくなっているけど、
世代交代もあって生々しい憎しみなどの感情が薄れた分、冷静に
戦争を考えることもできる時代になったのだと思います。
Posted by ひろすけ at 2010年09月06日 15:52
ひろすけさま:
さすがひろすけさん!
歴史的な事実はもちろん、
この映画の存在もまったく知りませんでした。
情報ありがとうございます~!
ボランティアに参加したオーストラリアの老人の中には、
脱走兵を助けた方の娘さんもいらして、
死に場所を求めて逃走していたにもかかわらず、
笑顔で紅茶とスコーンを差し出された兵士は、
心動かされ無抵抗で再び逮捕されたそうです。
その後その兵士がオーストラリアの彼女の家を訪ね、
お母様は亡くなっていたけれど、娘さんを日本に招待したそうです。
この映画、カウラの脱走のことをどんなふうに描いているのか
ぜひ見てみたいです。
さすがひろすけさん!
歴史的な事実はもちろん、
この映画の存在もまったく知りませんでした。
情報ありがとうございます~!
ボランティアに参加したオーストラリアの老人の中には、
脱走兵を助けた方の娘さんもいらして、
死に場所を求めて逃走していたにもかかわらず、
笑顔で紅茶とスコーンを差し出された兵士は、
心動かされ無抵抗で再び逮捕されたそうです。
その後その兵士がオーストラリアの彼女の家を訪ね、
お母様は亡くなっていたけれど、娘さんを日本に招待したそうです。
この映画、カウラの脱走のことをどんなふうに描いているのか
ぜひ見てみたいです。
Posted by kimono gallery晏 at 2010年09月06日 22:13